(故)斎藤義重の、飯塚八朗による
神話の神話展

協力 (株)まつもと・学校法人中延学園/朋優学院高等学校

2002年1月8日(火)〜1月26日(土)
11:00a.m.〜6:30p.m 土曜日5.00p.m.まで 日・祝休廊

 



会場風景



内容

(故)斎藤義重先生の神話好きは、周辺の人にはよく知られていたことですが、ある夏、飯塚八朗先生や学生達との合宿でギリシャ神話のトロイの木馬に想を得た作品を制作しました。その作品をメインに展観の予定です。



斎藤義重さんのこと

 冬よりも夏が好き、哲学と科学が好きな斎藤さんは晩年の二十年間を 小諸で若い人々と共に毎年夏の合宿に参加して美術を語り合ったり、 制作したりして過すことを楽しみにしておられました。長野県小諸のこの 場所は、野生の動植物が多く、夜空の星は降るように見え、蛍も群生 する自然の豊かなところです。三度の食事も白樺の樹間で会話を楽しみ ながらの、のんびりとしたものでした。
 この度の木馬は斎藤さんを偲ぶシンボルのようにも見えます。自分に 厳しく、人間を厳しく見ておられた斎藤さんは、神話の中に人間の原点を 見ておられたのでしょうか、古代エジプトの神殿を訪ねて歩き廻ったこと、 現代美術を見るためにN.Yなど東部の都市を旅したことなど、斎藤さんの 元気な姿を想い出します。どうしてなのか、カメラをかまえて対象を選ん でいる彼の姿を何枚か写真にとっていることに気付かされる。シャッター を切るまでの時間がとても長いのです。造形にこだわる姿でしょうか? 斎藤さんの自宅の庭に小諸から白樺の苗木を移植したことがありました。 そのときのことですが、苗木に土をかぶせ植え終わったと思ったとき、 5cmほど、こちらに動かしてほしいといわれたことがあります。見ること、 見えることにこだわった斎藤さんです。

飯塚 八朗




斎藤先生の遊具

私のかつての横浜・彩林画廊が移転した場所は横浜公園が目と鼻の先に あり、その一角に休みの日にはいつも沢山の子供達が群がる遊具があり ました。

枕木よりやや大きい角材が井桁に組まれた二つの正方形のそれぞれの 中心には一本の鉄棒が垂直に立てられ、高さ180cmほどの位 置に5mほど の長さの肋木で結ばれたこの正方形の側面にはまた各々に鋼製のすべり 台が付いていました。 私はいつもその遊具の造形的な美しさにみとれると同時に、子供達や時に は大人も混じって遊びたわむれる光景に、『きっと彼らの遊び心を刺激する 何かがあるのだなあ、もしかしたら名のある人のものかも知れない』などと 感じ入っていました。

移転オープン記念の第三弾としての展覧会は斎藤先生と飯塚先生の二人 展でした。盲、蛇に怖じずの伝で己の画廊の格も省みず、当初は個展の お願いに斎藤先生のお宅を訪うなど、今思っても冷や汗ものでしたが、 先生に「個展は受け合えないが、仲間との二人展でよかったら…」と仰言っ て頂いた時には内心快哉を叫んだものでした。

この展覧会開催中に両先生がお揃いになった日、野外彫刻に関した雑談の 中で冒頭に掲げた遊具の話をしたところ、何の斎藤先生のお口から「あぁ、 あれね、あれは僕が遊具会社にアイデア売ったものです。」と云う言葉を 伺った時には思わず私は『然もありなん。』と驚嘆したものです。

この様なこともあって数年後のこと、目の前の公園と私の画廊を連動させた 企画を飯塚先生と計画し旧TSAに何度か通ったものです。それも斎藤先生が お見えになる水曜日に限られていました。その時すでに遊具としての木馬の 発想があったと記憶しています。 結局この計画は市の協力が得られず挫折してしまったのですが、その時斎藤 先生から頂いた二枚の便箋になるお手紙文中のなぐさめと励ましの言葉は、 爾来私の心の支えになっています。

そしてその時の木馬がいますぐ眼の前に置かれていることに感無量の思いで おります。

最後になりましたが本展開催にあたり、ご協力頂いた方々に厚く御礼を申し 上げます。

合 掌     

ぎやらりいセンターポイント 新田 公敏






飯塚八朗の経歴はこちら
斎藤義重の経歴はこちら



[RETURN]