みのわ淳

MINOWA Jun


1930年 福井県生れ
1953〜97 難波田龍起に師事する
1954 金沢美術工芸大学油絵科卒業
個展
1957 村松画廊(銀座)
1958 サトウ画廊(銀座)
1960 勝木画廊(福井)/櫟画廊(銀座)
1964 椿近代画廊(新宿)
1965 ルナミ画廊(銀座)/大和(金沢)/人絹会館(福井)
1966 村松画廊
1968 サトウ画廊
1971,74,76,78 ギャラリーオカベ(銀座)
1982,83 ギャラリーオカベ・日辰画廊(銀座)
1985,87,89,92 日辰画廊
1988,92 ギャラリー銀(銀座)
1990 福井の美術・現代vol.1 “みのわ淳展”
(福井県立美術館)
みのわ淳作品展(ストライプハウス美術館)
1994,96,98,01 日辰画廊(銀座)
2002 ギャラリーセンターポイント(銀座)
   
グループ展(抜粋)
1954〜61 読売アンデパンダン展(東京都美術館)
1957 アジア青年美術家展(渋谷・東横)
1958〜61 JUNE展(沢田重隆、田名網敬一、野間佳子らと)
1959〜64 一陽会展(東京都美術館)、会員になるも‘64年に退会
1960 第4回シェル美術賞展(神奈川県立近代美術館)
1961 汎太平洋青年美術家展落選展(新宿・第一画廊/馬場彬らと)
1962 第2回丸善美術賞展(高島屋・日本橋)
シェル美術賞作家展(高島屋・横浜)
1962〜66 現代日本美術展(東京都美術館)
1964 新しい素材による美術展(新宿・小田急)
1965 アート・クラブ“日本今日の美術展”(村松画廊)
1966 INSEA(世界美術教育会議・プラハ)のため渡欧
1969〜78 陶画会展(深澤幸雄、難波田龍起らと/銀座・松坂屋など)
1970 連鎖展“錯誤‘70” “日本の肖像”(サトウ画廊)
1972 幻想陶芸展(新宿・小田急)
1976 シンポジュム‘76東京展(東京都美術館)
1978 多摩の作家展(立川・伊勢丹)
1980 陶のオブジェ展
(第七画廊・新橋/深澤幸雄、難波田龍起らと)
シェル美術賞受賞作家展(セントラル美術館・銀座)
アメリカを回りドイツに滞在
ライシェンダム国際美術展
(市立文化会館・オランダ)
1981 ドイツ現代美術展
(デュッセルドルフ市立美術館・ドイツ)
1982 福井現代洋画作家展(福井県立美術館)
1986 アート‘86多摩(サイドウォーク・八王子)
1987,89 陶のオブジェ展
(煉瓦画廊・銀座/深澤幸雄、難波田龍起らと)
1990,91,92 +・-展/BOITES展(彩林画廊・横浜)
1991 セラミックアート展
(KSPギャラリー・川崎/豊島弘尚、馬場彬らと)
1993〜2001 BOITES展/交叉展
(ぎやらりいセンターポイント・銀座)
1994,96,98 古井洵・みのわ淳展(ギャラリーGK・銀座)
1996 陶による六人展
(番町画廊・銀座/深澤幸雄、難波田龍起らと)
1998 21人の作家展(東邦画廊・銀座)
現代美術作家・新作展(ギャラリー絵夢・新宿)
1999 多摩現代美術展(三鷹市民ホール)
2000 21世紀への飛翔展(セントラル美術館・銀座)
九月の式典(アートサロン・アクロス・銀座)
   
受賞  
1959 一陽会展で一陽賞
1960 第4回シェル美術賞展・佳作
1962 第2回丸善美術賞展・入賞
   
コレクション

 福井県立美術館
 千葉市美術館
 池田町立美術館
 鯖江市民会館 仁愛大学
 跡見学園
 日本生命 他










 


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162.1×162.1cm
上昇する黄の光景 PHENOMENA ‘98-Q
Acrylic
1998



162.1×162.1cm
揺らぐ赤の形象 PHENOMENA ‘00-R
Acrylic
2000



162.1×162.1cm
移行する黄の空間 PHENOMENA ‘00-G
Acrylic
2000



22×23.5cm
陶板 ‘99-H
Ceramic
1999



16×15×15cm
陶のオブジェ “揺らぐ ‘99 水滴”
Ceramic
1999


−1998年個展カタログのテキストからー


 金沢美大在学中から難波田龍起に師事したみのわ淳は、亡くなるまで親しくして、 少人数で彼の文化功労者受賞の祝宴をもようしたという。そういえば圧塗りに異質な 素材をちりばめた抽象から光と雲のように形のない色が揺動する非具象へ、その間 一貫して螺旋状に渦巻く動きを求めるみのわの軌跡は、難波田と対応するところがある。  それにしても、みのわの近年の作風は、ヴィンター、ナイなど、戦後ドイツの抽象  表現主義にいくらか似たものがあるにしろ、本質はそれらとちがって前人未踏の域に 迫りつつある。

薄く透明な色層がただよい流れ、かさなって下の色層をすかしてみせ、 その螺旋状の渦の中心や周辺で黄や白の光が炸裂し、飛翔し、落下する・絵画の 究極は光に照らされた事物の描写ではなく、光そのものの把握だという説もあり、 時間の契機をとおして空間をとらえようとした、東洋画やカンジンスキー、クレーらの 探求も思いだされる。

(針生一郎 美術評論家)


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