土を素材にして最初からいわゆるオブジェを意図する作家とち
がって、土を手にした陶芸家はどんな場合でもまず器を意図する のではないか、と小峰氏は語っている。つまり、必然的に土は容
器になるのである。
だが、容器とは一体何だろう。何かを盛りつけることのできる ものすべてを容器というなら、形態はどんなものでもよいのでは
ないかという発想から彼は出発したと思う。現代陶芸における形 態が多種多様であることは周知の通
りだが、彼の特質は、この形 態に一つの大きなダイナミズムと、かつてなかった空間性を与え
た点にあるといってよい。
内側が外側を決定し外側が内側を決定するその形態は、明らか に一つの容器であるが、この容器には何も入れなくてもよいから、
何か充実感のあるもの、生命を感じさせるもので満たさせたいと 考えたにちがいない。ダイナミックなリズム感をもった外形によって
もたらされる内形の充実感によって、それは成功したといってよい。
器としての使命を果たしながら、器を離れてオブジェ化したこの 小峰氏の受賞作「覚醒は始まった」は、今回作者の意志によって
第2部に出品されたが、第1部の審査員からも高く評価されたの は、こういった作者の意図が理解されたからであろう。前回の
第12回日本陶芸展の時に第1部に出品した同じ作者の作品「祭器 V」もすぐれた空間性を見せたが、装飾性と容器性のほうがまさっ
た作品であった。今回の第2部出品作の空間把握は、これと比べ てはるかにまさるものがある。
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私がこの作品を最初に見て感じたのは縄文時代の火焔式土器の
イメージであった。作者自身もまた、火焔式土器の造形力は自己 の原点であると語っている。そういえば、火焔式土器は果
たして 容器としてつくられたのだろうか、例えそうであっても、あの空間
把握の力強さは、ハーバード・リードが「芸術と人間の進化」 (1951)のなかで述べたように、歴史の上で人間は進化したかもし
れないが芸術は少しも進化していない、という言葉を思い出させ る。
この作品は、下半分はロクロを用い、上半部は手ひねりで練り あげて全体を整えたという。その整形は当初漠然としたイメージ
から出発したが、人の脳の中身がこのイメージを決定した、と作 者は語っている。出っ張りの部分の艶出しは、焼成の前に磨き上
げ、炎の酔う状態での焼成に苦労があったという。この突起は全 体の有機的な形態に遠近感を加えてリズム感をいっそう強め、オ
ブジェとしての機能を高めている。器でありながら新しい可能性 の提示、゛覚醒は始まった"のである。
いずれにしても、この作品の空間感覚は、オブジェと容器の課 題を越えた、これからの現代陶芸の一つの方向を示唆しているか
もしれない。
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